第1週:6/11―6/13|森下スタジオ B[終了]
● Class/WS
● Event
第2週:6/14―6/20|森下スタジオ B[終了]
● Class/WS
● Event
第3週:6/21―6/27|森下スタジオ B[終了]
● Class/WS
● Event
第4週:6/28―7/4|森下スタジオ B/アサヒ・アートスクエア[終了]
● Class/WS
● Event
第5週:7/5―7/11|アサヒ・アートスクエア[終了]
● Class/WS
● Event
■WWFes 2010タイムテーブル:http://wwfes2010.exblog.jp/13634742
2010年9月11日土曜日
7/3: 気象と終身 レポート
アサヒ・アートスクエアのほぼ全空間(4階と5階、その間のエレベーター)で、6名の美術家が、同時にパフォーマンスを伴う作品を7時間にわたって発表したイベント(笹本晃は映像作品でのみ参加)。
時間が進むにつれ、作品それぞれの展開に応じて変化する様相が、異なる複数の時間軸を生みだしていた。また、それは単に、同じ空間に複数の作品を並置するあり方ではなく、それらを俯瞰して観賞する(作品を作品として識別/区分しようとする)さいに起きるコンフリクト・干渉に焦点が当てられ、提示されていたようだ。
橋本聡は主に5階の回廊で、散乱する本などとともに来場者にブロワーで風を吹き付け、追い回していた。あるいは、手錠に添えられた「手首に手錠をしてください」の指示(キャプションという命名行為が命令となる)などによって、そこでは、あからさまに来場者の行為が阻止または促され、干渉される。
小林耕平は4階で、様々な物品を使用しながら、例えば「目の前のあらゆるものがゆっくりと消えてゆくためには、何を準備すればいいのか?」「この筒は押すと倒れるのか? 倒れないと信じて倒してみる」など、ユーモラスだが禅の公案のように実現困難な65の命題(シーン?)に解を与えるべく、出演者(core of bells)を監督し、その上演と撮影のプロセスを公開した。またその撮影された映像も撮影と交互に上映された。
冨井大裕は、綿密な指示書でパフォーマーに委託し、5階の鏡のある2部屋で、手をポーズさせることによる彫刻と、その場で飲み干したビールの空き缶を手でつぶすことによる彫刻をそれぞれつくらせた。そして、自身は台車でビールケースとエアーパッキンを交互に運んだり、4階に展示された、スポンジなどの既製品が一定の秩序のもと積み上げられた自作品を、別の形態へと再構築する作業などに没入していた。
高嶋晋一は、顔を壁にぎりぎりまで近づかせ(視界に映るものが肌理としてしか認知できないほどの極端な至近距離)、爪先を床と壁の接線につけたままの微細な足の運動の繰り返しによって、4階の場内を壁伝いに一方向に延々と移動し続けた。結果としてその軌跡上にある物体は、人間であれ作品として組織されたものであれ、壁と看なして知覚され、その行為上に現れる空間として再編される。
これらは、指示するものと指示されるものの明瞭な分節という共通した特徴をもつが、来場者が観賞するさい、異なる時間秩序と空間組織が互いに齟齬を生じさせる(例えば、場内のある作品の音が大きいために、別の映像作品の音声が聞こえないなど)。つまり、一方の作品が作品として認識される瞬間、同時に他方の作品が成立することへの亀裂を引き起こす。その齟齬は、一つの会場を複数に分割するという物理的な領域の確保と排除をめぐって生じるというよりは、行為の関係が複数のレベルで設定されていることにより生じた、ネットワーク上のほつれのようなものだ。
それがとりわけ顕著に現れているのは、中井悠の作品だろう。中井は解説者を装い、来場者に話しかけては、そのつど異なる(つまり出鱈目な)それぞれの作品間に張り巡らされた見えざる関係性を説き、その声は、場内に複数浮かべた風船に吊るされたラジオによって伝播される(付け加えれば、中井が来場者に接する親し気な態度は、橋本が醸す緊張感と対照的だ)。互いに干渉しあう物体と行為とが作りだす空間に対する、言葉のレベルでの干渉・フレーミング。それが場内に張り巡らされる。一見混沌とした状況から垣間みられたのは、それぞれのルールに従う身体と物体のアンサンブルが、複数のレベルで干渉しあうことによって形成する、伸縮する可変的な時空間の可能性である。
印牧雅子
【イベントの模様】
【プログラムの詳細】
時間が進むにつれ、作品それぞれの展開に応じて変化する様相が、異なる複数の時間軸を生みだしていた。また、それは単に、同じ空間に複数の作品を並置するあり方ではなく、それらを俯瞰して観賞する(作品を作品として識別/区分しようとする)さいに起きるコンフリクト・干渉に焦点が当てられ、提示されていたようだ。
橋本聡は主に5階の回廊で、散乱する本などとともに来場者にブロワーで風を吹き付け、追い回していた。あるいは、手錠に添えられた「手首に手錠をしてください」の指示(キャプションという命名行為が命令となる)などによって、そこでは、あからさまに来場者の行為が阻止または促され、干渉される。
小林耕平は4階で、様々な物品を使用しながら、例えば「目の前のあらゆるものがゆっくりと消えてゆくためには、何を準備すればいいのか?」「この筒は押すと倒れるのか? 倒れないと信じて倒してみる」など、ユーモラスだが禅の公案のように実現困難な65の命題(シーン?)に解を与えるべく、出演者(core of bells)を監督し、その上演と撮影のプロセスを公開した。またその撮影された映像も撮影と交互に上映された。
冨井大裕は、綿密な指示書でパフォーマーに委託し、5階の鏡のある2部屋で、手をポーズさせることによる彫刻と、その場で飲み干したビールの空き缶を手でつぶすことによる彫刻をそれぞれつくらせた。そして、自身は台車でビールケースとエアーパッキンを交互に運んだり、4階に展示された、スポンジなどの既製品が一定の秩序のもと積み上げられた自作品を、別の形態へと再構築する作業などに没入していた。
高嶋晋一は、顔を壁にぎりぎりまで近づかせ(視界に映るものが肌理としてしか認知できないほどの極端な至近距離)、爪先を床と壁の接線につけたままの微細な足の運動の繰り返しによって、4階の場内を壁伝いに一方向に延々と移動し続けた。結果としてその軌跡上にある物体は、人間であれ作品として組織されたものであれ、壁と看なして知覚され、その行為上に現れる空間として再編される。
これらは、指示するものと指示されるものの明瞭な分節という共通した特徴をもつが、来場者が観賞するさい、異なる時間秩序と空間組織が互いに齟齬を生じさせる(例えば、場内のある作品の音が大きいために、別の映像作品の音声が聞こえないなど)。つまり、一方の作品が作品として認識される瞬間、同時に他方の作品が成立することへの亀裂を引き起こす。その齟齬は、一つの会場を複数に分割するという物理的な領域の確保と排除をめぐって生じるというよりは、行為の関係が複数のレベルで設定されていることにより生じた、ネットワーク上のほつれのようなものだ。
それがとりわけ顕著に現れているのは、中井悠の作品だろう。中井は解説者を装い、来場者に話しかけては、そのつど異なる(つまり出鱈目な)それぞれの作品間に張り巡らされた見えざる関係性を説き、その声は、場内に複数浮かべた風船に吊るされたラジオによって伝播される(付け加えれば、中井が来場者に接する親し気な態度は、橋本が醸す緊張感と対照的だ)。互いに干渉しあう物体と行為とが作りだす空間に対する、言葉のレベルでの干渉・フレーミング。それが場内に張り巡らされる。一見混沌とした状況から垣間みられたのは、それぞれのルールに従う身体と物体のアンサンブルが、複数のレベルで干渉しあうことによって形成する、伸縮する可変的な時空間の可能性である。
印牧雅子
【イベントの模様】
【プログラムの詳細】
2010年7月31日土曜日
7/11: 作品としての劇場会/議 / rendance & 世代間の対話 レポート
作品としての劇場会/議
岸井大輔さんの《作品としての劇場会/議》の前半、参加者一人ずつが劇場という空間を作り上げていく過程に参加していた。僕も含め、参加者それぞれがそのことに少し興奮していると感じた。しかし13:00近くまであると思って、今日のスケジュールのことを考えると、ご飯にちょっと行きたくなり、ほんの少し空けて帰って来たら終わっていた。がっくし。
【パフォーマンスの模様】
【プログラムの詳細】
rendance & 世代間の対話
20代、30代、40代、50代、60代(戦後、戦前と分ける)、70代に、分けてのまさしく世代間を超えてのラウンドテーブルから始まった。最初、それぞれの世代のおける青春時代の音楽は何?の質問には、軍歌からSMAP(20代、意外と一般的)まで。影響受けた振付家(皆さん、意外と身近な方からの影響が多かった)は誰?の質問には、藤里さん、若松さんからの貴重な言葉も飛び出した。そして、ダンスにおけるビジョンに関しては、若い人から年配の方々が頑張って欲しいのと、このように世代間の交流が必要との意見が印象的だった。
rendanceは長井江里奈さんからの実体験に基づく告白のようなスピーチで始まった。それと金野さんのダンスが良かった。そして、ほとんどの方々が実体験のお話、そして周りに繰り広げられているダンスは、とても品のいい大人の雰囲気を醸し出していた。こんなに、良くなるとは、思ってもいなかった。皆様の、絶えず微笑ましい顔がいっぱいで喜びに満ちていた。その後の、打ち上げが急に一変し、突然みんなで会議が自発的に生まれた。そしてWWFesは終わった。
【パフォーマンスの模様】
【プログラムの詳細】
多くの課題を残したが、来年に繋げたいと思った。関わった方々、スタッフ、そしてアサヒ・アートスクエアの高橋淳さん、本当にありがとうございました。
岸井大輔さんの《作品としての劇場会/議》の前半、参加者一人ずつが劇場という空間を作り上げていく過程に参加していた。僕も含め、参加者それぞれがそのことに少し興奮していると感じた。しかし13:00近くまであると思って、今日のスケジュールのことを考えると、ご飯にちょっと行きたくなり、ほんの少し空けて帰って来たら終わっていた。がっくし。
【パフォーマンスの模様】
【プログラムの詳細】
rendance & 世代間の対話
20代、30代、40代、50代、60代(戦後、戦前と分ける)、70代に、分けてのまさしく世代間を超えてのラウンドテーブルから始まった。最初、それぞれの世代のおける青春時代の音楽は何?の質問には、軍歌からSMAP(20代、意外と一般的)まで。影響受けた振付家(皆さん、意外と身近な方からの影響が多かった)は誰?の質問には、藤里さん、若松さんからの貴重な言葉も飛び出した。そして、ダンスにおけるビジョンに関しては、若い人から年配の方々が頑張って欲しいのと、このように世代間の交流が必要との意見が印象的だった。
rendanceは長井江里奈さんからの実体験に基づく告白のようなスピーチで始まった。それと金野さんのダンスが良かった。そして、ほとんどの方々が実体験のお話、そして周りに繰り広げられているダンスは、とても品のいい大人の雰囲気を醸し出していた。こんなに、良くなるとは、思ってもいなかった。皆様の、絶えず微笑ましい顔がいっぱいで喜びに満ちていた。その後の、打ち上げが急に一変し、突然みんなで会議が自発的に生まれた。そしてWWFesは終わった。
【パフォーマンスの模様】
【プログラムの詳細】
多くの課題を残したが、来年に繋げたいと思った。関わった方々、スタッフ、そしてアサヒ・アートスクエアの高橋淳さん、本当にありがとうございました。
山崎広太
2010年7月28日水曜日
《rendance & 世代間の対話》の模様
【他の写真を見る】



キュレーター:若松美黄、山崎広太
アシスタント・キュレーター:武元賀寿子、JOU
出演:長井江里奈、鎌倉道彦、田中いづみ、木野彩子、水田浩二、武元賀寿子、江原朋子、川口隆夫、
山崎広太、藤里照子、大島菜央、JOU、花輪洋治、真島恵理、皆川まゆむ、若松美黄、西村未奈、
松澤慶信、鈴木清貴、三膳由子、森嘉子、金野邦明、きたまり、熊谷乃理子、ユン・ミョンフィ、
渡辺久美子、石黒節子、伊藤茉野、武藤容子、牧野京子、柴一平
キュレーター:若松美黄、山崎広太
アシスタント・キュレーター:武元賀寿子、JOU
出演:長井江里奈、鎌倉道彦、田中いづみ、木野彩子、水田浩二、武元賀寿子、江原朋子、川口隆夫、
山崎広太、藤里照子、大島菜央、JOU、花輪洋治、真島恵理、皆川まゆむ、若松美黄、西村未奈、
松澤慶信、鈴木清貴、三膳由子、森嘉子、金野邦明、きたまり、熊谷乃理子、ユン・ミョンフィ、
渡辺久美子、石黒節子、伊藤茉野、武藤容子、牧野京子、柴一平
2010年7月19日月曜日
7/15: 透明なサイト・スペシフィック 参加者レポート Part 2
私たちは渋谷の雑踏の中で待つというパフォーマンスを行ないました。
それは一見するとただの日常風景にしか見えません。
しかし確かにそこにアートは存在していたのです。
実際は待っていないのに待つという行為はとても曖昧であり、明確な目的を持って来て行き交う人々と比べればとても不確実な存在でした。
そのため私は自身の身体がパフォーマンスをしているのか、日常にあるのか時々わからなくなりました。
そして行き交う人々もまたある時は渋谷の雑踏であり、ある時はパフォーマーであったのです。
そこにはとても奇妙な時間が流れていました。
気付きそうで気付かれない、だけど確かにそこにあるもの。
私自身がそれになることによりその存在を確認することができました。
このような貴重な体験をさせて頂きました山崎広太さんに感謝致します。
石山千尋
それは一見するとただの日常風景にしか見えません。
しかし確かにそこにアートは存在していたのです。
実際は待っていないのに待つという行為はとても曖昧であり、明確な目的を持って来て行き交う人々と比べればとても不確実な存在でした。
そのため私は自身の身体がパフォーマンスをしているのか、日常にあるのか時々わからなくなりました。
そして行き交う人々もまたある時は渋谷の雑踏であり、ある時はパフォーマーであったのです。
そこにはとても奇妙な時間が流れていました。
気付きそうで気付かれない、だけど確かにそこにあるもの。
私自身がそれになることによりその存在を確認することができました。
このような貴重な体験をさせて頂きました山崎広太さんに感謝致します。
石山千尋
2010年7月17日土曜日
7/15: 透明なサイト・スペシフィック 参加者レポート Part 1
透明なsite specificに参加して一番感じたことは、通行人、ダンサーに限らず、無意識に「気、意識」を発生させていることです。
waitingを行なっている私達は、現在の一点に意識を繋ぎ留めようとする。それも爆発寸前の内的感情を持ちつつ、表面上は何事も無いかのように平静を装いながら。一方、通行人の方々は、自分が「行く場所」へと意識を近い未来へ向かわせ、あるいは気兼ねして過去の思いを引きずりながら。
この「静」と「動」、「現在の一点」と「現在より先・後」の『意識』の方向性の相反するコントラストが、やってみた後に非常に面白いと思った感覚です。
また同じ空間にいたにも関わらず、隔絶された感覚もありました。
これはフィードバックをしたとき、他のダンサーの発言で気づいたのですが、waitingをしたダンサーが渋谷の一部と化し、いわば「擬人的(樹や壁)」になったのだとわかりました。
個人的には、「パフォーマンスとして宣伝せず街頭にwaitingする」ことと「パフォーマンスを宣伝してwaitingする」ことの、観客または通行人が『対象に使う意識の集中力の違い』も面白かったです。観客の心理的背景に関して言及すれば、前者は全く準備が無い。後者はしっかりと「はい。観ますよ―。」と心の余白を作っている、いわば準備できている状態。
往々にして、常に観客の前でパフォーマンスしている私達ダンサーにとっては、「意識、集中して観られない」・「ダンサー自身の感情が高まっても表面上に動いてはいけない。ごく普通に佇む」状況下では異次元な感じを味わいました。同じ渋谷なのに。自分や周りの意識の使い方、状況によって見える景色もこんなに違うのか!!と驚きました。
今回は「意識」にまつわる様々な事象をたくさん体験できる貴重な機会だったと思います。
パフォーマンスに発展させるとすれば、このwaitingに一つないし二つの動きの情報を加えるのが好ましいと考えさせられました。いかに普通に、装飾ばかりでダンスが見えなくならないようなアプローチができるか、ダンスとして表現することができるのかが、この実験的な試みの進展に必要なのではないかと強く思いました。
最後に、企画を発案してくださった山崎さん、フェスティバルのスタッフの皆さん、新しい見地を見せてくださり、ありがとうございました。
櫻井ことの
waitingを行なっている私達は、現在の一点に意識を繋ぎ留めようとする。それも爆発寸前の内的感情を持ちつつ、表面上は何事も無いかのように平静を装いながら。一方、通行人の方々は、自分が「行く場所」へと意識を近い未来へ向かわせ、あるいは気兼ねして過去の思いを引きずりながら。
この「静」と「動」、「現在の一点」と「現在より先・後」の『意識』の方向性の相反するコントラストが、やってみた後に非常に面白いと思った感覚です。
また同じ空間にいたにも関わらず、隔絶された感覚もありました。
これはフィードバックをしたとき、他のダンサーの発言で気づいたのですが、waitingをしたダンサーが渋谷の一部と化し、いわば「擬人的(樹や壁)」になったのだとわかりました。
個人的には、「パフォーマンスとして宣伝せず街頭にwaitingする」ことと「パフォーマンスを宣伝してwaitingする」ことの、観客または通行人が『対象に使う意識の集中力の違い』も面白かったです。観客の心理的背景に関して言及すれば、前者は全く準備が無い。後者はしっかりと「はい。観ますよ―。」と心の余白を作っている、いわば準備できている状態。
往々にして、常に観客の前でパフォーマンスしている私達ダンサーにとっては、「意識、集中して観られない」・「ダンサー自身の感情が高まっても表面上に動いてはいけない。ごく普通に佇む」状況下では異次元な感じを味わいました。同じ渋谷なのに。自分や周りの意識の使い方、状況によって見える景色もこんなに違うのか!!と驚きました。
今回は「意識」にまつわる様々な事象をたくさん体験できる貴重な機会だったと思います。
パフォーマンスに発展させるとすれば、このwaitingに一つないし二つの動きの情報を加えるのが好ましいと考えさせられました。いかに普通に、装飾ばかりでダンスが見えなくならないようなアプローチができるか、ダンスとして表現することができるのかが、この実験的な試みの進展に必要なのではないかと強く思いました。
最後に、企画を発案してくださった山崎さん、フェスティバルのスタッフの皆さん、新しい見地を見せてくださり、ありがとうございました。
櫻井ことの
7/15: 透明なサイト・スペシフィック レポート
午後1時からの20分間、渋谷南口駅前のバスターミナルを横断歩道で渡った通りに、パフォーマー6名がたたずむサイト・スペシフィックのパフォーマンス。パフォーマーは、三井住友銀行を中心にした建物を背に、駅に直面する身体の向きで、通りに4、5メートルずつの間隔でwaitingしている。そこにいる誰もが、たえずどこかへ向かうために移動し、またとどまっていても煙草を吸ったり携帯電話を操作し、何かをしている渋谷という都市では、ただ不動の待つという行為が際立った差異として認識される。さらに、その完全な無目的性がかえって謎に映った。静謐さをたたえ、きりりとした(現代の巫女のような?)彼らの身体は、ここにおいては、ことさらに何かを行なうということなしに、渋谷の風景を異化する作用を及ぼしていたように見えた。
これは確かに、都市がもつディレクションに対するシンプルなアプローチの一つではあるだろう。今後、都市の条件をもパフォーマンスの一部として含めたうえで、ダンスを組織する方法を模索しうるのではないだろうか。
【プログラムの詳細】
【パフォーマンスの模様】
印牧雅子
これは確かに、都市がもつディレクションに対するシンプルなアプローチの一つではあるだろう。今後、都市の条件をもパフォーマンスの一部として含めたうえで、ダンスを組織する方法を模索しうるのではないだろうか。
【プログラムの詳細】
【パフォーマンスの模様】
印牧雅子
2010年7月16日金曜日
7/10: 生西康典・宇波拓WSショーイング / プネウマとともに レポート
生西康典・宇波拓WSショーイング|ことばにはできないこと
生西康典さん、宇波拓さんの作品。一般の方々の募集によるWSでの作品作り。作品制作において、じっくり取りかかる時間がないにも関わらず、緻密な構成によってできあがっている。出演者、全員が歌い出したときは、誰もが楽しめ、作品を納得できる、何かエンターテイメントとしての嬉しさがこみ上げてきた。センスが良く、アートとして言葉、音楽、ダンス、照明などをエクスチェンジさせ、舞台作品として成立させることのできるアーティストだと思った。
プネウマとともに―ダンスとことばが出会う場所
「プネウマとともに」は、西村未奈さんのソロから始まった。自身の発する言葉とダンスが客観的に統制されていて、さりげない抽象性と静けさが超クール。日本には、あまりないタイプの作品。
僕の「発する身体」は、たった7回、2時間のリハーサルで、ここまで到達するとは思わなかった。母音から日常言語、万葉集が交差するプロジェクトの到達地点は見えないが、結構日本語の美しさと、発することの壮快感が、お客さんに伝わるし、未来に対しての必然を感じるので、是非継続していきたいプロジェクト。
足立智美さんは、どうなって、いろいろな音が出てくるのだろうと思いながら聞いてしまう。やはりさすがだと思った。
詩人とダンサーとのセッション。空間の言葉とダンスが共存することの、心地よさは通低していた。
三角みづ紀さんと笠井瑞丈くんは、三角さんの発声、歌が、しっかり確立しているので、瑞丈くんのダンスの空間との関係性がいい。
林浩平さんとJOUさんとのジョイントは、林さんは朗読することに徹底していて、パフォーマーとしてのモチベーションをもう少し考えるべき?と思った。
吉田文憲さんと川野眞子さんとのジョイントは、薄暗い中で、川野さんの独特な雰囲気を醸し出すムーブメントと吉田さんの言葉がかなりインティメイトで独特。しかし吉田さんのシチュエーションが洞穴での設定とか、または場所の移動とか低い姿勢の身体のポジションでの発声とかあると、作品が強くなると想像する。二人は、またトライすべき。
僕のキュレーションで、絶対合わない同士をわざと出会わせた、平田俊子さんとAbe"M"ARIAさんとのジョイント。詩とのジョイントおいて、もっとも二人の凄腕パフォーマンスだった。噛み合ない横断性において朔太郎は、うれしがっていると思う。
稲川方人さんと工藤丈輝さんのジョイント。双方の意気込みは、十分に伝わるし、工藤くんの舞踏の身体性を堪能できるのだが、双方が、一緒に結合するような瞬間が欲しかった。
詩人とダンサーとのジョイントは、プログラムとしては、いいと思う。今後は、詩人の方々が、朗読だけでなく、三角さん、平田さんのように、パフォーマンスとして意識して欲しいと思った。それと、ビジュアルアーティストとのジョイントも見たいと思った。
山崎広太
生西康典さん、宇波拓さんの作品。一般の方々の募集によるWSでの作品作り。作品制作において、じっくり取りかかる時間がないにも関わらず、緻密な構成によってできあがっている。出演者、全員が歌い出したときは、誰もが楽しめ、作品を納得できる、何かエンターテイメントとしての嬉しさがこみ上げてきた。センスが良く、アートとして言葉、音楽、ダンス、照明などをエクスチェンジさせ、舞台作品として成立させることのできるアーティストだと思った。
プネウマとともに―ダンスとことばが出会う場所
「プネウマとともに」は、西村未奈さんのソロから始まった。自身の発する言葉とダンスが客観的に統制されていて、さりげない抽象性と静けさが超クール。日本には、あまりないタイプの作品。
僕の「発する身体」は、たった7回、2時間のリハーサルで、ここまで到達するとは思わなかった。母音から日常言語、万葉集が交差するプロジェクトの到達地点は見えないが、結構日本語の美しさと、発することの壮快感が、お客さんに伝わるし、未来に対しての必然を感じるので、是非継続していきたいプロジェクト。
足立智美さんは、どうなって、いろいろな音が出てくるのだろうと思いながら聞いてしまう。やはりさすがだと思った。
詩人とダンサーとのセッション。空間の言葉とダンスが共存することの、心地よさは通低していた。
三角みづ紀さんと笠井瑞丈くんは、三角さんの発声、歌が、しっかり確立しているので、瑞丈くんのダンスの空間との関係性がいい。
林浩平さんとJOUさんとのジョイントは、林さんは朗読することに徹底していて、パフォーマーとしてのモチベーションをもう少し考えるべき?と思った。
吉田文憲さんと川野眞子さんとのジョイントは、薄暗い中で、川野さんの独特な雰囲気を醸し出すムーブメントと吉田さんの言葉がかなりインティメイトで独特。しかし吉田さんのシチュエーションが洞穴での設定とか、または場所の移動とか低い姿勢の身体のポジションでの発声とかあると、作品が強くなると想像する。二人は、またトライすべき。
僕のキュレーションで、絶対合わない同士をわざと出会わせた、平田俊子さんとAbe"M"ARIAさんとのジョイント。詩とのジョイントおいて、もっとも二人の凄腕パフォーマンスだった。噛み合ない横断性において朔太郎は、うれしがっていると思う。
稲川方人さんと工藤丈輝さんのジョイント。双方の意気込みは、十分に伝わるし、工藤くんの舞踏の身体性を堪能できるのだが、双方が、一緒に結合するような瞬間が欲しかった。
詩人とダンサーとのジョイントは、プログラムとしては、いいと思う。今後は、詩人の方々が、朗読だけでなく、三角さん、平田さんのように、パフォーマンスとして意識して欲しいと思った。それと、ビジュアルアーティストとのジョイントも見たいと思った。
山崎広太
《プネウマとともに―ダンスとことばが出会う場所》の模様
2010年7月15日木曜日
生西康典・宇波拓WSショーイングの模様
【他の写真を見る】

《ことばにはできないこと(仮題)》
演出:生西康典
音楽:宇波拓
演出助手:池田野歩
出演:上本竜平、垣内友香里、笠原麻美、霧島寿江、山田愛
演奏:宇波拓(ギター)、中尾勘二(パーカッション、ソプラノ・サックス)、服部将典(コントラバス)
声:島田桃子

《ことばにはできないこと(仮題)》
演出:生西康典
音楽:宇波拓
演出助手:池田野歩
出演:上本竜平、垣内友香里、笠原麻美、霧島寿江、山田愛
演奏:宇波拓(ギター)、中尾勘二(パーカッション、ソプラノ・サックス)、服部将典(コントラバス)
声:島田桃子
2010年7月14日水曜日
透明なサイト・スペシフィック 渋谷駅南口にて開催
企画:山崎広太
7/15[木]13:00-13:20
渋谷駅南口にて決行
参加者:受講生有志
日常の人々が行き交う、都市や電車の中で自分の身体をわざと客体化し、同時に周りを意識して、存在すること。そこにwaitingすること。都市のいくつかのポイントで、それぞれがwaitingし、パフォーマー、気づいたお客さん共々、同時に、普段見慣れている風景を見る。そこでは風景が全く違って見え、ある意味ダイナミズムがあると感じる。そして、パフォーマーは消えて行き、普段と変わらない風景になる。
●
山崎の舞踏の最初一歩がwaiting。それは外の世界を見て、尚かつ内なる世界を同時に見ること。内側と外側が同じ圧力で同時に支え合っているような力のイメージ。そして、あくまで普通の無名性の身体。都市は、激しいほどのディレクションで成り立っている。その無名性の身体を敢えて意識し、同時に街を見る、佇む。ここには通常のパフォーマンスが持っている祝祭性は、まったくない、そしてクール。これは未来に結ぶ新たなパフォーマンスの形態だと確信する。
7/15[木]13:00-13:20
渋谷駅南口にて決行
参加者:受講生有志
日常の人々が行き交う、都市や電車の中で自分の身体をわざと客体化し、同時に周りを意識して、存在すること。そこにwaitingすること。都市のいくつかのポイントで、それぞれがwaitingし、パフォーマー、気づいたお客さん共々、同時に、普段見慣れている風景を見る。そこでは風景が全く違って見え、ある意味ダイナミズムがあると感じる。そして、パフォーマーは消えて行き、普段と変わらない風景になる。
●
山崎の舞踏の最初一歩がwaiting。それは外の世界を見て、尚かつ内なる世界を同時に見ること。内側と外側が同じ圧力で同時に支え合っているような力のイメージ。そして、あくまで普通の無名性の身体。都市は、激しいほどのディレクションで成り立っている。その無名性の身体を敢えて意識し、同時に街を見る、佇む。ここには通常のパフォーマンスが持っている祝祭性は、まったくない、そしてクール。これは未来に結ぶ新たなパフォーマンスの形態だと確信する。
2010年7月11日日曜日
《くじ引きラボ》の模様
【他の写真を見る】
赤組《ルールプール》
井手実、柴田恵美、田上和佳奈、平原慎太郎

白組《S.O.I》
河崎純、中山奈美、西村未奈、山縣太一

チーム黄色《設定》
スカンク、舩橋陽、山崎広太、吉岡靖、峰岸誠、ファッ休
赤組《ルールプール》
井手実、柴田恵美、田上和佳奈、平原慎太郎

白組《S.O.I》
河崎純、中山奈美、西村未奈、山縣太一
チーム黄色《設定》
スカンク、舩橋陽、山崎広太、吉岡靖、峰岸誠、ファッ休
2010年7月10日土曜日
7/9: くじ引きラボ / 結ぶダンス レポート
くじ引きラボ
ダンサー含め、いろんなジャンルのアーティストが、無理矢理くじ引きでグループにさせられ、短時間で作品を作らなければいけないプログラム。僕も出演者だったので、実際、「くじ引きラボ」ついては書けないのだが。ダンスでこんな実験的な雰囲気って、余りなかった。でも7/3の「気象と終身」も、そんな雰囲気だった。これこそ自由であり、アーティストが本来希求しているのだと思う。とてもヒット。来年も継続したいプログラムの一つ。それと、お客さんが、入って欲しいな~。隣の厨房のささやかな打ち上げで、スカンクくんが、どうせアーティストは貧乏なんだから、何でもできるぜ!ってなこと言ったりして、楽しかった。
【プログラムの詳細】
【パフォーマンスの模様】
結ぶダンス
余りにも「くじ引きラボ」が実験的なので、その後のオーソドックスなモダンダンスの「結ぶダンス」のプログラムの繋がりは良くないと反省。
川谷まり子さんの作品は、ほとんど後ろ姿で踊るので、トリシャの絶対に後ろ姿で踊る作品を彷彿させたが、作品構成が全て音楽に担われているために陳腐に見えてしまう。残念。
加藤みや子さんの作品は、素晴らしいコスチュームと共に、全て上半身の流れるムーブメント。時々静止した状態、間を感じる身体によって身体のランドスケープがわきあがる時間が欲しかった。
【プログラムの詳細】
【パフォーマンスの模様】
山崎広太
ダンサー含め、いろんなジャンルのアーティストが、無理矢理くじ引きでグループにさせられ、短時間で作品を作らなければいけないプログラム。僕も出演者だったので、実際、「くじ引きラボ」ついては書けないのだが。ダンスでこんな実験的な雰囲気って、余りなかった。でも7/3の「気象と終身」も、そんな雰囲気だった。これこそ自由であり、アーティストが本来希求しているのだと思う。とてもヒット。来年も継続したいプログラムの一つ。それと、お客さんが、入って欲しいな~。隣の厨房のささやかな打ち上げで、スカンクくんが、どうせアーティストは貧乏なんだから、何でもできるぜ!ってなこと言ったりして、楽しかった。
【プログラムの詳細】
【パフォーマンスの模様】
結ぶダンス
余りにも「くじ引きラボ」が実験的なので、その後のオーソドックスなモダンダンスの「結ぶダンス」のプログラムの繋がりは良くないと反省。
川谷まり子さんの作品は、ほとんど後ろ姿で踊るので、トリシャの絶対に後ろ姿で踊る作品を彷彿させたが、作品構成が全て音楽に担われているために陳腐に見えてしまう。残念。
加藤みや子さんの作品は、素晴らしいコスチュームと共に、全て上半身の流れるムーブメント。時々静止した状態、間を感じる身体によって身体のランドスケープがわきあがる時間が欲しかった。
【プログラムの詳細】
【パフォーマンスの模様】
山崎広太
7/8: ショーケース / Surfin' Safari レポート
ショーケース《ゑ》
根本しゅん平くんの作品。最初の落語と、その後の関連性が見当たらなく、作品になっていない。しかし、出演者の二人は、ダンサーとして最高に良く。一万円近いお金を払って、海外カンパニーの作品を大劇場で見るよりも、500円で、身近で、これだけのものを見られるのは、超破格だと思った。
【パフォーマンスの模様】
【プログラムの詳細】
Surfin' Safari
生島翔くんの考え出したプログラム。ダンスを一般の方々へ普遍化しようとする翔くん努力は、尊敬に値する。しかし、そのプロセスをどのように行なうかは、時間のかかる努力と経験が必要に思う。翔くん関係の大勢の一般の方々がつめかけた。そのなかで、たった一人海パンのみで登場の翔くんは偉い。彼のソロから始まった。その後、余りの大人数のために、全員をダンスで誘導することは難しく、簡単なアフリカンダンスだったらできるのにな~と内心思いつつ、はかどらない進行にパニックっている翔くんがいた。それを、全体を盛り上げるように努めたのが、お兄ちゃん、もっくんだった。そして、誰もが、踊る坩堝へと渇していった。70、80年代のディスコへと騒乱の状況になった。一般の方々の誰もが、ダンスをすることの、ダンスでしかできない楽しさを求めていることを感じた。嬉しかった。
今回、翔くんの関係者の方がほとんどだったので、本当に一般の方だったら、どうなるのだろうと思いつつ。このように、新たにチャレンジすることに、BALはサポートしていきたいと思う。それと、音楽演奏のラキタ君は、超可愛い~。スタッフ関係者は、とてもいい雰囲気に満ちていた。
【パフォーマンスの模様】
【プログラムの詳細】
山崎広太
根本しゅん平くんの作品。最初の落語と、その後の関連性が見当たらなく、作品になっていない。しかし、出演者の二人は、ダンサーとして最高に良く。一万円近いお金を払って、海外カンパニーの作品を大劇場で見るよりも、500円で、身近で、これだけのものを見られるのは、超破格だと思った。
【パフォーマンスの模様】
【プログラムの詳細】
Surfin' Safari
生島翔くんの考え出したプログラム。ダンスを一般の方々へ普遍化しようとする翔くん努力は、尊敬に値する。しかし、そのプロセスをどのように行なうかは、時間のかかる努力と経験が必要に思う。翔くん関係の大勢の一般の方々がつめかけた。そのなかで、たった一人海パンのみで登場の翔くんは偉い。彼のソロから始まった。その後、余りの大人数のために、全員をダンスで誘導することは難しく、簡単なアフリカンダンスだったらできるのにな~と内心思いつつ、はかどらない進行にパニックっている翔くんがいた。それを、全体を盛り上げるように努めたのが、お兄ちゃん、もっくんだった。そして、誰もが、踊る坩堝へと渇していった。70、80年代のディスコへと騒乱の状況になった。一般の方々の誰もが、ダンスをすることの、ダンスでしかできない楽しさを求めていることを感じた。嬉しかった。
今回、翔くんの関係者の方がほとんどだったので、本当に一般の方だったら、どうなるのだろうと思いつつ。このように、新たにチャレンジすることに、BALはサポートしていきたいと思う。それと、音楽演奏のラキタ君は、超可愛い~。スタッフ関係者は、とてもいい雰囲気に満ちていた。
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山崎広太
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