2010年9月11日土曜日

WWFes 全5週: 6/11―7/11 スケジュール

第1週:6/11―6/13|森下スタジオ B[終了]
● Class/WS
● Event

第2週:6/14―6/20|森下スタジオ B[終了]

● Class/WS
● Event

第3週:6/21―6/27|森下スタジオ B[終了] 
● Class/WS
● Event

第4週:6/28―7/4|森下スタジオ B/アサヒ・アートスクエア[終了]
● Class/WS
● Event

第5週:7/5―7/11|アサヒ・アートスクエア[終了]
● Class/WS
● Event


■WWFes 2010タイムテーブル:http://wwfes2010.exblog.jp/13634742

7/3: 気象と終身 レポート

アサヒ・アートスクエアのほぼ全空間(4階と5階、その間のエレベーター)で、6名の美術家が、同時にパフォーマンスを伴う作品を7時間にわたって発表したイベント(笹本晃は映像作品でのみ参加)。

時間が進むにつれ、作品それぞれの展開に応じて変化する様相が、異なる複数の時間軸を生みだしていた。また、それは単に、同じ空間に複数の作品を並置するあり方ではなく、それらを俯瞰して観賞する(作品を作品として識別/区分しようとする)さいに起きるコンフリクト・干渉に焦点が当てられ、提示されていたようだ。

橋本聡は主に5階の回廊で、散乱する本などとともに来場者にブロワーで風を吹き付け、追い回していた。あるいは、手錠に添えられた「手首に手錠をしてください」の指示(キャプションという命名行為が命令となる)などによって、そこでは、あからさまに来場者の行為が阻止または促され、干渉される。
小林耕平は4階で、様々な物品を使用しながら、例えば「目の前のあらゆるものがゆっくりと消えてゆくためには、何を準備すればいいのか?」「この筒は押すと倒れるのか? 倒れないと信じて倒してみる」など、ユーモラスだが禅の公案のように実現困難な65の命題(シーン?)に解を与えるべく、出演者(core of bells)を監督し、その上演と撮影のプロセスを公開した。またその撮影された映像も撮影と交互に上映された。
冨井大裕は、綿密な指示書でパフォーマーに委託し、5階の鏡のある2部屋で、手をポーズさせることによる彫刻と、その場で飲み干したビールの空き缶を手でつぶすことによる彫刻をそれぞれつくらせた。そして、自身は台車でビールケースとエアーパッキンを交互に運んだり、4階に展示された、スポンジなどの既製品が一定の秩序のもと積み上げられた自作品を、別の形態へと再構築する作業などに没入していた。
高嶋晋一は、顔を壁にぎりぎりまで近づかせ(視界に映るものが肌理としてしか認知できないほどの極端な至近距離)、爪先を床と壁の接線につけたままの微細な足の運動の繰り返しによって、4階の場内を壁伝いに一方向に延々と移動し続けた。結果としてその軌跡上にある物体は、人間であれ作品として組織されたものであれ、壁と看なして知覚され、その行為上に現れる空間として再編される。

これらは、指示するものと指示されるものの明瞭な分節という共通した特徴をもつが、来場者が観賞するさい、異なる時間秩序と空間組織が互いに齟齬を生じさせる(例えば、場内のある作品の音が大きいために、別の映像作品の音声が聞こえないなど)。つまり、一方の作品が作品として認識される瞬間、同時に他方の作品が成立することへの亀裂を引き起こす。その齟齬は、一つの会場を複数に分割するという物理的な領域の確保と排除をめぐって生じるというよりは、行為の関係が複数のレベルで設定されていることにより生じた、ネットワーク上のほつれのようなものだ。
それがとりわけ顕著に現れているのは、中井悠の作品だろう。中井は解説者を装い、来場者に話しかけては、そのつど異なる(つまり出鱈目な)それぞれの作品間に張り巡らされた見えざる関係性を説き、その声は、場内に複数浮かべた風船に吊るされたラジオによって伝播される(付け加えれば、中井が来場者に接する親し気な態度は、橋本が醸す緊張感と対照的だ)。互いに干渉しあう物体と行為とが作りだす空間に対する、言葉のレベルでの干渉・フレーミング。それが場内に張り巡らされる。一見混沌とした状況から垣間みられたのは、それぞれのルールに従う身体と物体のアンサンブルが、複数のレベルで干渉しあうことによって形成する、伸縮する可変的な時空間の可能性である。


印牧雅子


【イベントの模様】
【プログラムの詳細】

2010年7月31日土曜日

7/11: 作品としての劇場会/議 / rendance & 世代間の対話 レポート

作品としての劇場会/議
岸井大輔さんの《作品としての劇場会/議》の前半、参加者一人ずつが劇場という空間を作り上げていく過程に参加していた。僕も含め、参加者それぞれがそのことに少し興奮していると感じた。しかし13:00近くまであると思って、今日のスケジュールのことを考えると、ご飯にちょっと行きたくなり、ほんの少し空けて帰って来たら終わっていた。がっくし。

【パフォーマンスの模様】
【プログラムの詳細】

rendance & 世代間の対話
20代、30代、40代、50代、60代(戦後、戦前と分ける)、70代に、分けてのまさしく世代間を超えてのラウンドテーブルから始まった。最初、それぞれの世代のおける青春時代の音楽は何?の質問には、軍歌からSMAP(20代、意外と一般的)まで。影響受けた振付家(皆さん、意外と身近な方からの影響が多かった)は誰?の質問には、藤里さん、若松さんからの貴重な言葉も飛び出した。そして、ダンスにおけるビジョンに関しては、若い人から年配の方々が頑張って欲しいのと、このように世代間の交流が必要との意見が印象的だった。

rendanceは長井江里奈さんからの実体験に基づく告白のようなスピーチで始まった。それと金野さんのダンスが良かった。そして、ほとんどの方々が実体験のお話、そして周りに繰り広げられているダンスは、とても品のいい大人の雰囲気を醸し出していた。こんなに、良くなるとは、思ってもいなかった。皆様の、絶えず微笑ましい顔がいっぱいで喜びに満ちていた。その後の、打ち上げが急に一変し、突然みんなで会議が自発的に生まれた。そしてWWFesは終わった。

【パフォーマンスの模様】
【プログラムの詳細】

多くの課題を残したが、来年に繋げたいと思った。関わった方々、スタッフ、そしてアサヒ・アートスクエアの高橋淳さん、本当にありがとうございました。


山崎広太

《スタジオラボ》アフタートークの模様


写真左から:
小山衣美、稲毛礼子、寺田未来、
岡本優、吉田拓、北尾亘、
笠井叡、矢内原美邦、山崎広太

2010年7月28日水曜日

《rendance & 世代間の対話》の模様

【他の写真を見る】



キュレーター:若松美黄、山崎広太
アシスタント・キュレーター:武元賀寿子、JOU

出演:長井江里奈、鎌倉道彦、田中いづみ、木野彩子、水田浩二、武元賀寿子、江原朋子、川口隆夫、
山崎広太、藤里照子、大島菜央、JOU、花輪洋治、真島恵理、皆川まゆむ、若松美黄、西村未奈、
松澤慶信、鈴木清貴、三膳由子、森嘉子、金野邦明、きたまり、熊谷乃理子、ユン・ミョンフィ、
渡辺久美子、石黒節子、伊藤茉野、武藤容子、牧野京子、柴一平

《作品としての劇場会/議》の模様

企画:岸井大輔
出演:岸井大輔、イェレナ・グラズマン、トチアキタイヨウ、藤崎香菜 ほか参加者

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2010年7月19日月曜日

7/15: 透明なサイト・スペシフィック 参加者レポート Part 2

私たちは渋谷の雑踏の中で待つというパフォーマンスを行ないました。
それは一見するとただの日常風景にしか見えません。
しかし確かにそこにアートは存在していたのです。
実際は待っていないのに待つという行為はとても曖昧であり、明確な目的を持って来て行き交う人々と比べればとても不確実な存在でした。
そのため私は自身の身体がパフォーマンスをしているのか、日常にあるのか時々わからなくなりました。
そして行き交う人々もまたある時は渋谷の雑踏であり、ある時はパフォーマーであったのです。
そこにはとても奇妙な時間が流れていました。
気付きそうで気付かれない、だけど確かにそこにあるもの。
私自身がそれになることによりその存在を確認することができました。
このような貴重な体験をさせて頂きました山崎広太さんに感謝致します。

石山千尋